あらすじ
大学自治寮である、ひいらぎ寮が取り壊されることをきっかけに右往左往する学生たち。かつていた場所に思い出として蓄積されたもの、出来事。学内で起こっているデモ、たまたま寮に帰ってきた人、人を好きになること、花が咲くこと。その場を離れて新しい生活をはじめること。
出演
外桂士朗
新田みのり
南風盛もえ(青年団)
藤家矢麻刀
松竹史桜
舞台監督| 黒澤多生 (青年団)
照明 |緒方稔記
制作協力|山口真央
宣伝美術|江原未来
協力|青年団 無隣館 ヨハクノート
企画・制作|ムニ
当日パンフレットの言葉
本日はご来場いただきましてありがとうございます。最後まで楽しんでいっていただけたら幸いです。セリフを喋る、ということは、物語を書く、ということと似ていると思う。セリフを喋るという行為は「自分のものではない言葉」を背負っているし、物語は強い現実を背負っている。物語が現実の延⻑線上にあると捉えるのに(物語を信じてみようと思えることに)とても時間が掛かったのと同じように、セリフを話せるという状態をすんなり飲み込むことができなかった。結果的に、そのつまずきが、わたしを「聞く」という行為へと導くことになった。
3月のはじめくらいだったか、女の子と男の子の友人と3人で映画を観る会をすることになった。ちょうどその頃わたしはあたらしい家に引っ越したので、引っ越し祝いも兼ねていた。TSUTAYA でそれぞれが観たい DVD をレンタルして、最寄り駅まで20分くらい歩いて、なんとなくピザを注文しようという話になり、ピザ屋に行った。その時小雨が途中から降り出して、三人でピザができるのを待った。わたしと男の子はピザ屋の外に出ていって、たばこを吸った。水しぶきを立てて、車のライトは暗闇の先へ伸びる。「止まないね」「でも強くないしね」「タクりたいね」「でももうちょっとじゃん」とかなんとか言いながら三人で帰路に着くころ、雨は止んだ。結局朝まで映画を観て、男の子が先に帰った。女の子と二人、部屋で化粧をして、家を出た。次の日は小春日だった。電車の中でその子の好きな人の話を聞いて、途中、乗り換えの駅で別れた。ふと、この日のことを思い出すことがある。大学の校舎が壊されることを知ったのは、2月頃だったか。その理由が不当なものだと知ってどうしても許せなかった。これまであったことをゼロにするということ、それは土地やそこに息づいていた記憶を消すことと同じことなんじゃないか。でも、同時にそのことをわたしが許せないと思う一方で、許す人はいるのだと思った。じゃあ、許すとはどういうことなのか、大学の校舎はわたしに考えるきっかけを与えてくれた。忘れてしまうことに抵抗がある、そのまま覚えていることなんてできないけれど、少しでも覚えておけたら、思い出せたら、と思って、演劇をやっている、台本を書いている。演劇をやることで抵抗している。わたしにとって演劇とは、忘れたくないことや考えるきっかけを与えてくれた出来事を、保存していく行為なのかもしれない、そのことを忘れかけた時に、できるだけ感じられる形で、思い出すために。
3月のはじめくらいだったか、女の子と男の子の友人と3人で映画を観る会をすることになった。ちょうどその頃わたしはあたらしい家に引っ越したので、引っ越し祝いも兼ねていた。TSUTAYA でそれぞれが観たい DVD をレンタルして、最寄り駅まで20分くらい歩いて、なんとなくピザを注文しようという話になり、ピザ屋に行った。その時小雨が途中から降り出して、三人でピザができるのを待った。わたしと男の子はピザ屋の外に出ていって、たばこを吸った。水しぶきを立てて、車のライトは暗闇の先へ伸びる。「止まないね」「でも強くないしね」「タクりたいね」「でももうちょっとじゃん」とかなんとか言いながら三人で帰路に着くころ、雨は止んだ。結局朝まで映画を観て、男の子が先に帰った。女の子と二人、部屋で化粧をして、家を出た。次の日は小春日だった。電車の中でその子の好きな人の話を聞いて、途中、乗り換えの駅で別れた。ふと、この日のことを思い出すことがある。大学の校舎が壊されることを知ったのは、2月頃だったか。その理由が不当なものだと知ってどうしても許せなかった。これまであったことをゼロにするということ、それは土地やそこに息づいていた記憶を消すことと同じことなんじゃないか。でも、同時にそのことをわたしが許せないと思う一方で、許す人はいるのだと思った。じゃあ、許すとはどういうことなのか、大学の校舎はわたしに考えるきっかけを与えてくれた。忘れてしまうことに抵抗がある、そのまま覚えていることなんてできないけれど、少しでも覚えておけたら、思い出せたら、と思って、演劇をやっている、台本を書いている。演劇をやることで抵抗している。わたしにとって演劇とは、忘れたくないことや考えるきっかけを与えてくれた出来事を、保存していく行為なのかもしれない、そのことを忘れかけた時に、できるだけ感じられる形で、思い出すために。