出演
『ことばにない(ない)』に関わった人
空間設計:渡辺瑞帆(青年団)
舞台監督:黒澤多生(青年団)
照明:緒方稔記(黒猿)
音響デザイン:SKANK/スカンク(Nibroll)
協力:黒澤多生(青年団)、南風盛もえ(青年団)、藤家矢麻刀、小宮山菜子
制作:河野遥(ヌトミック)
主催:宮崎企画
提携:THEATRE E9 KYOTO(一般社団法人アーツシード京都)
『ことばにない』前編に関わった人
出演:石川朝日、浦田すみれ、黒澤多生(青年団)、田島冴香(FUKAIPRODUCE羽衣)、豊島晴香、南風盛もえ(青年団)、藤家矢麻刀、古川路(TeXi’s)、
巻島みのり、ワタナベミノリ、和田華子(青年団)
声の出演:立蔵葉子(青年団/梨茄子)
スタッフ
作・演出:宮崎玲奈
空間設計:渡辺瑞帆(青年団)
舞台監督:黒澤多生(青年団)
照明:緒方稔記(黒猿)
照明操作:伊藤拓(青年団)
音響デザイン:SKANK/スカンク(Nibroll)
衣装:坊薗初菜(青年団)
宣伝美術:江原未来
制作:河野遥(ヌトミック)
制作部:青柳糸、佐々木明音、寺前柊斗、林美月、彦坂紗里奈、渡邉結衣
演出部:安齋彩音、秋山実里、池田きくの、石井泉、伊勢広、大島康彰、加賀田玲、金指喜春(おんたま玉)、黒澤風太、佐々木明音、笹田伶、関彩葉、
高橋あずさ(終のすみか)、富髙有紗、筒井野瑛、冨岡 英香、西出結、彭夏子、彦坂紗里奈、前田倫、山田朋佳、伊藤拓(青年団)
小道具協力:辻本直樹(Nichecraft)
Special thanks:岡真弓、新高円寺アトラクターズスタジオ、トシプロスタジオ
『ことばにない(ない)』について
やむを得ず全公演中止となった『ことばにない』前編、京都公演。上演時間4時間半の作品の舞台空間やロビーは空き地となりました。
『ことばにない』前編は、「他者の声を聞く」が根底にある作品です。実際の舞台セットを設営し、東京公演の記録音声や使用した道具・衣装等を用いて、『ことばにない』前編の小さな断片を体験できるループ作品を制作します。45-60分程度の作品で、出入り自由とし、オープンスペースのような形で開放します。
ロビーでは作品制作の参考図書を展示する「ムニ図書」や戯曲の販売を行います。ロビーには宮崎もおりますので、作品についてのお話し、それ以外のことなどざっくばらんにおしゃべりしたく思います。
『ことばにない』前編は、「他者の声を聞く」が根底にある作品です。実際の舞台セットを設営し、東京公演の記録音声や使用した道具・衣装等を用いて、『ことばにない』前編の小さな断片を体験できるループ作品を制作します。45-60分程度の作品で、出入り自由とし、オープンスペースのような形で開放します。
ロビーでは作品制作の参考図書を展示する「ムニ図書」や戯曲の販売を行います。ロビーには宮崎もおりますので、作品についてのお話し、それ以外のことなどざっくばらんにおしゃべりしたく思います。
当日パンフレット(となるはずだった)言葉
ロビーでくつろいだり、休憩中に外の空気を吸ったりしながら、4時間半を過ごしていただければと思います。各人の過ごしやすいやり方で、無理はせずで。扉は開けられますので、途中で気分が悪くなった場合もお知らせください。
閑話休題、少しだけこばなしを。東京と神奈川を主な生活圏として過ごしております。青年団の同期から「宮崎さんの作品、京都も合っている気がする」と言われたことをきっかけに、せっかくだしと思い立ち、京都公演敢行の計画を立てました。はじめての、東京・神奈川以外での公演です。出身は高知県なので、小中学校時代の修学旅行や親との旅行で関西を訪れていました。上京した後のことですが、高速バスに乗って、公演や展覧会を観に行ったこともあります。だけど、その一言がなければ、京都で公演をやってなかったなぁとも思いました。この戯曲を書いている期間中、神統の問題が起きたり、1週間おきに問題発言の報道がなされていきました。東京公演を行っている時に、登場人物の議員が悪者すぎないかと言われました。なぜその人物を登場させる必要があったのか、と。だけど、彼女が登場人物としていることが、現実なのだ、とも私は思ってしまったのでした。今なら書けるのかも、と思って書きはじめた戯曲ですが、いつのまにか3年程が経過していました。
母からの手紙に、早回しでドラマも観るような時代にこんな長い演劇に付き合ってくれるみんなにもっと感謝した方がいいと書かれていました。今日この演劇を観に来た人も、『ことばにない』という物語の関係者なのだと思います。わたしたちは、今日のあなたに対して、精一杯を、します。
俳優も私もセクシャリティに関してなど、個人的な話を稽古場でせずとも、今回の作品の制作を進めることが出来ました。レズビアンアイデンティティについての作品がやりたいのだということを受け入れてくださった皆さんには感謝し尽くせません。素晴らしい俳優さん、スタッフさんたちのお名前もぜひ覚えて帰っていただきたいです。
この物語は、来年の後編へと続きます。(京都公演は今のところ予定していないのですが涙)あなたの日常がこの劇場を出た後も続くように続きます。すこしわがままなお願いですが、登場人物たちのことを最後まで見届けていただければと思います。手作りで毎日を想像していった先の未来で会いましょう。
本日はご来場いただきまして、誠にありがとうございます。この場所が少しでも安心できるような場であることができれば、と思います。
閑話休題、少しだけこばなしを。東京と神奈川を主な生活圏として過ごしております。青年団の同期から「宮崎さんの作品、京都も合っている気がする」と言われたことをきっかけに、せっかくだしと思い立ち、京都公演敢行の計画を立てました。はじめての、東京・神奈川以外での公演です。出身は高知県なので、小中学校時代の修学旅行や親との旅行で関西を訪れていました。上京した後のことですが、高速バスに乗って、公演や展覧会を観に行ったこともあります。だけど、その一言がなければ、京都で公演をやってなかったなぁとも思いました。この戯曲を書いている期間中、神統の問題が起きたり、1週間おきに問題発言の報道がなされていきました。東京公演を行っている時に、登場人物の議員が悪者すぎないかと言われました。なぜその人物を登場させる必要があったのか、と。だけど、彼女が登場人物としていることが、現実なのだ、とも私は思ってしまったのでした。今なら書けるのかも、と思って書きはじめた戯曲ですが、いつのまにか3年程が経過していました。
母からの手紙に、早回しでドラマも観るような時代にこんな長い演劇に付き合ってくれるみんなにもっと感謝した方がいいと書かれていました。今日この演劇を観に来た人も、『ことばにない』という物語の関係者なのだと思います。わたしたちは、今日のあなたに対して、精一杯を、します。
俳優も私もセクシャリティに関してなど、個人的な話を稽古場でせずとも、今回の作品の制作を進めることが出来ました。レズビアンアイデンティティについての作品がやりたいのだということを受け入れてくださった皆さんには感謝し尽くせません。素晴らしい俳優さん、スタッフさんたちのお名前もぜひ覚えて帰っていただきたいです。
この物語は、来年の後編へと続きます。(京都公演は今のところ予定していないのですが涙)あなたの日常がこの劇場を出た後も続くように続きます。すこしわがままなお願いですが、登場人物たちのことを最後まで見届けていただければと思います。手作りで毎日を想像していった先の未来で会いましょう。
本日はご来場いただきまして、誠にありがとうございます。この場所が少しでも安心できるような場であることができれば、と思います。
『ことばにない(ない)』当日パンフレットの言葉
ムニの空き地in京都『ことばにない(ない)』にむけて
本作品『ことばにない(ない)』は「声を聞く」という主題を引き継ぐ形で制作されました。客席も本来の上演用に組んだままにしております。 上演(演劇であること)を支える支持体の一つは「集まり」であることだ、と私は仮定しています。空洞(空き地)になった場所に、上演された/る可能性をひらき、設置しました。舞台は上演に居合わせるはずだった時間のみ開放しています。4時間半の時間、どのくらい滞在しても、どのような形で聞いていただいても基本的には構いません。ロビーには図書のコーナーもございます。 無料としたことで、ハードルは以前より少なくなったとも言えます。劇場で上演するということで生まれてしまう排除について普段は思い悩んでしまうのですが、今回はできるだけ、誰でも出入り自由な形にしたいと思いました。どんな方の出入りも基本的に受け付けます。11/26-28の期間、ひらかれた「空き地」です。目の前には川やベンチもあるので、のんびりできます。 劇場空間に配置された物や声、行き所なく飾られた衣装は所在を持つことなく、彷徨っている状態にあると言えるでしょう。それは今の私たちの状態とも似ているのかもしれません。平常でいるために、重心を保ちたくて作っていた部分も少なからずあります。 集まって、戯曲を声に出して読む、ということも上演の一つの可能性だと思います。ぜひ、友だちに声を掛けて久しぶりに会うことを口実に上演してみてください。鴨川とかで集まって声に出して読むことも上演だと思っています。 『ことばにない』前編を京都で上演することはできなかったけれど、一つの上演可能性として、上演になりきらない断片の一部としての『ことばにない(ない)』を少しでもお楽しみいただければと思います。同時に、「空き地」でもゆったりお過ごしいただければ幸いです。 本日はご来場いただきまして、誠にありがとうございます。この場所が少しでも安心できるような場であることができれば、と思います。 P.S.本企画は無料開放となっています。この企画に無料以上の価値があったと感じ、ペイできる可能性があるような方は物販を手にとっていただければと思います。『ことばにない(ない)』や空き地は、人の手によってつくられています。そのことを想像していただけると少しうれしいです。
本作品『ことばにない(ない)』は「声を聞く」という主題を引き継ぐ形で制作されました。客席も本来の上演用に組んだままにしております。 上演(演劇であること)を支える支持体の一つは「集まり」であることだ、と私は仮定しています。空洞(空き地)になった場所に、上演された/る可能性をひらき、設置しました。舞台は上演に居合わせるはずだった時間のみ開放しています。4時間半の時間、どのくらい滞在しても、どのような形で聞いていただいても基本的には構いません。ロビーには図書のコーナーもございます。 無料としたことで、ハードルは以前より少なくなったとも言えます。劇場で上演するということで生まれてしまう排除について普段は思い悩んでしまうのですが、今回はできるだけ、誰でも出入り自由な形にしたいと思いました。どんな方の出入りも基本的に受け付けます。11/26-28の期間、ひらかれた「空き地」です。目の前には川やベンチもあるので、のんびりできます。 劇場空間に配置された物や声、行き所なく飾られた衣装は所在を持つことなく、彷徨っている状態にあると言えるでしょう。それは今の私たちの状態とも似ているのかもしれません。平常でいるために、重心を保ちたくて作っていた部分も少なからずあります。 集まって、戯曲を声に出して読む、ということも上演の一つの可能性だと思います。ぜひ、友だちに声を掛けて久しぶりに会うことを口実に上演してみてください。鴨川とかで集まって声に出して読むことも上演だと思っています。 『ことばにない』前編を京都で上演することはできなかったけれど、一つの上演可能性として、上演になりきらない断片の一部としての『ことばにない(ない)』を少しでもお楽しみいただければと思います。同時に、「空き地」でもゆったりお過ごしいただければ幸いです。 本日はご来場いただきまして、誠にありがとうございます。この場所が少しでも安心できるような場であることができれば、と思います。 P.S.本企画は無料開放となっています。この企画に無料以上の価値があったと感じ、ペイできる可能性があるような方は物販を手にとっていただければと思います。『ことばにない(ない)』や空き地は、人の手によってつくられています。そのことを想像していただけると少しうれしいです。