あらすじ
『須磨浦旅行譚』
高校の同級生カナコの突然の事故死から一ヶ月後、
東京に住むわたしと地元高知に住むマナカの二人は須磨に住む
高校の同級生、藤くんに会いに行くことになる。
旅の途中、ヒッチハイクをしていた松田さんとサービスエリアで出会うが。
『回る顔』
田舎に住む危篤の父を訪ねる女。
付いてきてほしいと言われ渋々付いて行く男。
訪ねた先では、不思議な現象が次々と起こっていく。
『真昼森を抜ける』
人は出会いの刹那を繰り返す。
海で出会う子どもと老人、
新宿バッティングセンターで出会う若者たち、
海に住む夫婦。
人々の姿が地層のように重なり、時にすれ違う。
出演
『須磨浦旅行譚』
石渡愛(青年団)
南風盛もえ(青年団)
藤家矢麻刀
『回る顔』
新田佑梨(青年団)
黒澤多生(青年団)
伊藤拓(青年団)
日向子(青年団)
『真昼森を抜ける』
南風盛もえ(青年団)
藤家矢麻刀
舞台監督:黒澤多生(青年団)
照明:緒方稔記(黒猿)
衣装:坊薗初菜(青年団)
制作:河野遥(ヌトミック)
芸術総監督:平田オリザ
技術協力:蜂巣もも(アゴラ企画)
制作協力:曽根千智(アゴラ企画)
主催(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
企画制作 ムニ/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
協力:黒猿、青年団、ヌトミック、プリッシマ、レトル
当日パンフレットの言葉
肩の力を抜いて観ていただけましたら、幸いです。
◆景色の想像について
意識と声から「景色」の伝播は起こる。ディテールを細かく立ち上げることで、俳優が想像しようとしていることが、観客に伝播する度合いが高まる。語りという形式を取らずとも、会話をしながら場を立ち上げることは可能だ。古墳を立ち上げる時、俳優はそこにいることのディテールを高める。同じものを見ていなくても、想像のボールが届き、響くことによって、私たちは同じ「今ここ」を共有することができる。
◆声、その人としてありながら
役になりきるのではなく、その人としてありながら、キャラクターでもあることの方が私には重要だ。「声」に注目して2019年以降制作を行なってきたが、繰り返すことの重要性をここ半年ほど感じている。本読みを繰り返すことで、ニュアンスの固定化を回避する。私は私の当事者であることからは逃れられない。届く声というのが確かに存在して、それは想像できる声とも言えるのかもしれない。視覚に重点を置いての制作を行ってきましたが、意識や想像が演劇の支持体なのではないかと考えるようになりました。
上演に協力してくださった俳優のみなさん、スタッフのみなさんに感謝いたします。『須磨浦旅行譚』の初演当時、無償で手伝ってくれた大学時代の同級生や後輩、ありがとうございます。
◆景色の想像について
意識と声から「景色」の伝播は起こる。ディテールを細かく立ち上げることで、俳優が想像しようとしていることが、観客に伝播する度合いが高まる。語りという形式を取らずとも、会話をしながら場を立ち上げることは可能だ。古墳を立ち上げる時、俳優はそこにいることのディテールを高める。同じものを見ていなくても、想像のボールが届き、響くことによって、私たちは同じ「今ここ」を共有することができる。
◆声、その人としてありながら
役になりきるのではなく、その人としてありながら、キャラクターでもあることの方が私には重要だ。「声」に注目して2019年以降制作を行なってきたが、繰り返すことの重要性をここ半年ほど感じている。本読みを繰り返すことで、ニュアンスの固定化を回避する。私は私の当事者であることからは逃れられない。届く声というのが確かに存在して、それは想像できる声とも言えるのかもしれない。視覚に重点を置いての制作を行ってきましたが、意識や想像が演劇の支持体なのではないかと考えるようになりました。
上演に協力してくださった俳優のみなさん、スタッフのみなさんに感謝いたします。『須磨浦旅行譚』の初演当時、無償で手伝ってくれた大学時代の同級生や後輩、ありがとうございます。
チラシの言葉
初めての再演公演を行います。カメラにまつわる3作品。東京・豊岡の2箇所での公演になります。保存された「戯曲」を頼りに、今ここであることと、ここにあるまなざしのために上演します。ワクワクする作品になるようにがんばります。これまで演劇における視覚に対してのアプローチを行ってきましたが、「見えることの先へ」を今回の再演ではキーワードとしています。見ることの先へ。ムニのこれまでとこれからの接続点を楽しんでいただけましたら嬉しいです。