出演
黒澤多生(青年団)
南風盛もえ(青年団)
藤家矢麻刀
宮﨑玲奈
映像:小宮山菜子
照明協力:緒方稔記(黒猿)
舞台監督:黒澤多生(青年団)
イラスト:江原未来
制作:河野遥(ヌトミック)
企画制作・主催:宮﨑企画
協力:黒猿、ヌトミック
チラシの言葉
人は何によってできているのだろう。自分ではない「誰か」として、ぼろぼろ忘れながら、忘れ物を毎日しているような気分で生きている気もする。他者の知覚を追体験することはできるのか。「痕跡」「傷」について、顔を巡る旅をします。
映像撮影に小宮山菜子さんを迎え、新作短編『回る顔』の無料ライブ配信を行います。
今年は、7月にコンクールに出て、11月にムニの公演を計画中でした。どちらも難しくて、そんな中、3月の公演に向けて、新作短編のライブ配信を行うことにしました。配信は演劇なのかとか、さまざまな意見があるかと思います。けれど、いつもどおり、演劇という装置を通して、世界を捉えなおす、歪みの知覚について探求しています。画面の向こう側の顔も一緒に、知覚を巡る旅ができたらと思います。
映像撮影に小宮山菜子さんを迎え、新作短編『回る顔』の無料ライブ配信を行います。
今年は、7月にコンクールに出て、11月にムニの公演を計画中でした。どちらも難しくて、そんな中、3月の公演に向けて、新作短編のライブ配信を行うことにしました。配信は演劇なのかとか、さまざまな意見があるかと思います。けれど、いつもどおり、演劇という装置を通して、世界を捉えなおす、歪みの知覚について探求しています。画面の向こう側の顔も一緒に、知覚を巡る旅ができたらと思います。
当日パンフレットの言葉
存在について——
忘れることも、思い出すことも、気づかないうちにやっているのに、覚えていることだけが、思い出として残り、わかっていることだけが、忘れ物として残る。それって、変な感じがします。残っているものを語るのは簡単で、知覚できていない、わからないことの方を、知りたいと思いました。「忘れる」「思い出す」って、なんでしょうか。行為を自覚できていないとしても、「忘れ」「思い出す」現象について、言語化、表象できないかと、その不完全さを舞台上にあげたいと思いました。社会的な「認識」を疑い、壊していくのが、知覚の探求だと思います。変異として認識されていることを、再定義し直し、普通に起こりうることだと錯覚させることはできるのか。歌人の穂村弘さんが、遠くの他人と夢で繋がる感覚について、書かれていた記事のことを思い出します。知覚を通して、向こう側に片足だけでも立てたらと、そんな旅を共有できたらと思います。わからない他者を鏡として、これからも、わたしは自分を認識していくのだと思います。
本日はこの作品をオンタイム、アーカイブでご覧いただきありがとうございます。
「声」について——
体という容れ物に言葉を馴染ませて発することで、本当の「声」が生まれるのではないかと、信じてやみません。舞台上の俳優はセリフを覚えて喋っているのですが、そこには「ゆらぎ」が含まれていてほしいと願っています。セリフがリアルに聞こえるか、ということには、それが、まさに今発されている「声」としてあることが重要に思います。俳優の声は未来に向かって鳴らされていて、それが、画面の向こう側にも伝わればという気持ちです。
忘れることも、思い出すことも、気づかないうちにやっているのに、覚えていることだけが、思い出として残り、わかっていることだけが、忘れ物として残る。それって、変な感じがします。残っているものを語るのは簡単で、知覚できていない、わからないことの方を、知りたいと思いました。「忘れる」「思い出す」って、なんでしょうか。行為を自覚できていないとしても、「忘れ」「思い出す」現象について、言語化、表象できないかと、その不完全さを舞台上にあげたいと思いました。社会的な「認識」を疑い、壊していくのが、知覚の探求だと思います。変異として認識されていることを、再定義し直し、普通に起こりうることだと錯覚させることはできるのか。歌人の穂村弘さんが、遠くの他人と夢で繋がる感覚について、書かれていた記事のことを思い出します。知覚を通して、向こう側に片足だけでも立てたらと、そんな旅を共有できたらと思います。わからない他者を鏡として、これからも、わたしは自分を認識していくのだと思います。
本日はこの作品をオンタイム、アーカイブでご覧いただきありがとうございます。
「声」について——
体という容れ物に言葉を馴染ませて発することで、本当の「声」が生まれるのではないかと、信じてやみません。舞台上の俳優はセリフを覚えて喋っているのですが、そこには「ゆらぎ」が含まれていてほしいと願っています。セリフがリアルに聞こえるか、ということには、それが、まさに今発されている「声」としてあることが重要に思います。俳優の声は未来に向かって鳴らされていて、それが、画面の向こう側にも伝わればという気持ちです。