• ©黑田菜月

ムニ
『つかの間の道』『赤と黄色の夢』二本立て公演 ”A Transient Way “ ”Red and Yellow Dream”

作・演出:宮崎玲奈、黒澤優美
2024年3月9日(土)-17日(日)全12ステージ @アトリエ春風舎

あらすじ

『つかの間の道』作・演出:宮崎玲奈
いなくなった親友にそっくりのヒサダさんに出会うカップル。
夫がいなくなり、姪と暮らしている女、近所に住むおばさん。
日常がちょっと変に歪んでいく、ふたりの遠出。
遠くに行きたいけど、行けない。
今いる場所に、かつていた場所が重なっていく。これは都市生活者冒険譚である。


『赤と黄色の夢』作・演出:黒澤優美
一緒に暮らしている誠と由紀子。
ある日由紀子がコロナになったタイミングで誠は母方の実家に帰省する。
一人になった部屋で由紀子は黙々と編み物を編んでいく。

出演

『つかの間の道』出演
石渡愛(青年団)
木崎友紀子(青年団)
立蔵葉子(青年団/梨茄子)
南風盛もえ(青年団)
藤家矢麻刀
吉田山羊
ワタナベミノリ


『赤と黄色の夢』出演
伊藤拓(青年団)
西風生子(青年団)
渡邊まな実

舞台監督:水澤桃花(箱馬研究所)
照明:緒方稔記(黒猿)
舞台美術:本橋龍(ウンゲツィーファ)、村上太郎
劇団制作:上薗誠
宣伝美術:渡邉まな実
公演制作:中條玲


企画制作・主催:宮崎企画
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京【東京ライブ・ステージ応援助成】
協力:有楽町アートアーバニズム YAU、一般社団法人ベンチ、黒猿、青年団、図鑑、梨茄子、箱馬研究所、プリッシマ、(有)レトル

STATEMENT(宮崎玲奈)

「なぜ、今、『つかの間の道』を上演するのか」宮崎玲奈

『つかの間の道』は2020年に戯曲を書き、上演を行なった作品である。
この頃のわたしは、①日本語の隠喩性を生かした、「静かな演劇」の流れを汲んだ直接的には言えない・言うことを回避する戯曲言語への興味、② ①の言語を選択した際に、行為によって表出され得ることがある場合、言語と行為を等価に扱え得る可能性がある、の2点に興味の比重があった。

2022、23年に上演したレズビアンアイデンティティを巡る8時間の演劇作品『ことばにない』は①の戯曲言語の体系から先に進もうと、自身の個人性の発露と形式の前進が、一致するタイミングで制作された作品だった。構想を含めると2019年からの大きなプロジェクトであったこともあり、その創作の終わり、わたしは空っぽとなった。
同時に、当時扱っていた「言わない/言えなかったこと」について再考したいという思いが芽生えた。それは、「言わない/言えない」を「言う」に対して、善や悪とする価値観からは離れたところで、当時の「言わない/言えない」を選択した自身と向き合いたいという思いである。

『つかの間の道』に登場する人物たちには直接的に書かれていない情報も多くある。直接的に表出はされていないが、自身に合わせた人物たちの心のつながりや読み方を一つの抵抗の形として、当時も見つけていたように思う。例えば、男女のカップルの間にはどこか心の隙間風が吹いているような気配があったり、読みの可能性が大きく開かれている人物も数名存在する。ある意味では、開かれすぎた、とも取れるような読みの可能性を孕んだ戯曲と今、対峙することで、新たな演出形式を獲得したいという考えも芽生えるようになった。

観客にとって「〜に見られる/見える」という目的へ推進力を持って創作を行う、これまで選択してきたリアリズム演劇の手法を見直したいと考えた。それは、ある個人的な主体を作者が持ち、それを戯曲に託した際に、人物の見え方をどの段階からか選択し規定していく必要がある、という演出の構造に疑問を持ったからである。「こういう人いるよね」という見え方を軸とした人物の提示は、そのキャラクターを人格含めて提示していることにはなり得ないのではないか、と考える。それよりも、観客の頭の中でその観客がその人物の像を結びうる演出形式の選択に演劇創作、上演の豊かさを感じる。その演出形式の選択は、戯曲の言葉が言葉そのものとして受け取られ得る形式の選択となる。また、未来に創造されるであろう戯曲は、より上演を目的としたものからは分離され、登場人物を人格を含めてより掘り下げ、深い深度で書かれ得るものになるだろう。『つかの間の道』という作品の上演が、上演それ自体として、戯曲から自立し得る地平をわたしたちは目指している。

『つかの間の道』は日常生活を基盤としながら、時間軸、場所を飛び越えていく、そんな戯曲である。大きな事件も起こらず、言わないことも多い。社会や政治ということが作品の背景に隠れているとも言える。ままならない日常の中でなされたその直接性を回避し日常を描くという選択と、その先にあったままならない現実を一歩踏み込んで描くという選択とのあわいにこそ、本当に、今、考えるべきことがあるのではないか。

STATEMENT(黒澤優美)

「タイトルメンバー」黒澤優美

ムニの発酵シアター2023の時期あたりから気づいたら(宮崎さんからはお話がありました)私はムニのタイトルメンバーになっていました。継続して作品や創作に参加するメンバーに「タイトルメンバー」という名前をつけるよということだそうで、タイトルメンバーだからどうということは無さそう…?
でもやっぱり、今回から劇作家二人の新体制になったことでムニの演劇公演を観に行く=宮崎作品を観に行くじゃなくなるというのはかなり大きいなとは思うわけで。

私は以前、劇団を旗揚げして演劇作品を作っていました。一度だけ公演を打つことができたのですが、次の公演の準備に取りかかる際に私が劇団内でお願いされていた仕事を全然できていなかったり、演劇をすることで決まっていく予定と私の不安定さの狭間でおそろしくなり、しかしおそろしいなりに台本ができてから会場やキャストなど色々決めていきませんかって私から団員に提案をしたのですが(そしたらゆうみ台本書かないじゃん)と言われ本当だなあ、本当すぎる、と思い演劇をやめました。演劇から離れていた2022年、私はアルバイトしつつゲームしたり友達と遊んだり、ゲームを作ってみたくてノベルゲーム制作ツールなどをいじったりして暮らしていました。

そんなことをしていたら去年の春、演劇から遠く離れた私を宮崎さんは観劇に誘ってくれました。観劇する前にすこし散歩しながら話して、戯曲を並走して書いてみようよということでムニの発酵シアター2023をゴールとして書き始めたのが「赤と黄色の夢」です。
タイトルメンバーとして認定してもらった(?)からには、上記の経緯もあって演劇続けるパワーが他力本願な感じになっている私の現状をなんとかしたいなと思っています。

当日パンフレットの言葉(宮崎玲奈)

「劇への抵抗ー軽さを起点として」宮崎玲奈

https://muniinum.com/paper/

当日パンフレットの言葉(黒澤優美)

「何かやらなきゃ誰にも会えない」黒澤優美

宮崎さんの近況を交えつつ公演の宣伝をするスペース配信を聞きながら毎晩ご飯を食べる今日この頃です。

ステートメントで書いた経緯があり私は演劇をやめていました。作劇をして演出もしている自分は特に(お前が好きでやっていること)という感覚がある。あるものはある、ないものはない、できる範囲で演劇をしよう(次があるなら)と思ってたのですけど……こうしていろんな方々と一緒に(めっちゃ助けていただき)演劇をしています。無事上演できそうです。

表題は大黒摩季のら・ら・らの歌詞から引用しました。
友達みんな暇ではないのでどれだけ仲良くても年1会うか会わないかになって、しょうがないけど寂しいですねーてな感じ、演劇をやっているとそんなことないかっていうと「何かやらなきゃ誰にも会えない」がチラついて生き急ぐというか追い立てられるというかそんな気持ちになります。

本日はご来場いただきましてありがとうございます。
Twitter(X)も低浮上で私の情報が少ないのに、この演劇公演を選んでいただきありがとうございます。
ご縁、ですね!